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ピアノフェス 落合陽一×小川加恵
2ヶ⽉ほど朝も昼も夜も休みなくLLMs(⼤規模⾔語モデル)との対話を続けている.2023年は計算機⾃然(デジタルネイチャー)へ向かう上で重要な年として記憶されることになると思う.昨年の我々のコンサート,「ヒューマンコードアンサンブル」の際に我々は⾳楽と⽣成AIによる映像のコラボレーションを⾏った.コンサートホールで多くの聴衆とともに⽣成AIを⽤いたコンサートを⾏ったという意味で最初期の未来の古典的なものを⾏っていたと考えている.計算機⾃然に向かう上で,メディアアートが彫刻的所作から⾝体的・⾳楽的所作へと変化してきたことは環境の変化を⼤きく感じている.
我々はこのコンサートで「デジタル領域と古楽器との相互作⽤を探求し,記憶と過去という領域に踏み込んでいく.この探求の中⼼は,⾳楽と⾝体性の探求,映像的な⾔語と⾳楽的な⾔語の接続,LLMsとの対話を通じてシンボルやオブジェクトの認識を更新するアイデア,そして様々なシンボルやオブジェクトを楽器のようにリズミカルに接続することによって得られる,彫刻的な芸術であったメディアアートから,⾳楽的な芸術・⾝体的な芸術に近づくメディアアートへの内省と希望である.
⼈間とコンピュータと古楽器,⼀⾒すると⼈・モノ・デジタルの3領域にまたがるように⾒えるこのアンサンブルは,我々を取り囲む世界と楽譜やプログラム,シンボルやオブジェクトを通じて対話的に同調する能⼒の本質的な拡張を意味する.⼈の能⼒を計算機⾃然の中での調和した存在へと導く.このコンサートは,そういった探求から⽣まれた未知なるものへの考察であり,私たちの集団の歴史の奥底にある触覚的な・物質的な体験を呼び起こすものとして考えることができる.
阿頼耶識(Alaya-vijnana)とLLMの関係は,学習と回想の相互作⽤に例えることができる.我々が普段,世界を認識するために⽤いるすべての(デザイン⾔語・⾃然⾔語・⾝体⾔語的な)オブジェクトは空から⽣じて空に戻る.例えば,古代中国の荘⼦哲学とモルフォ蝶のモチーフからインスピレーションを得た映像表現は,東洋と⻄洋を超越して.物化と⽣成変化の概念を包含し,古楽器の⾳楽と調和している.コンサートを通じて質量性の⾼い古楽器から⾃由に⽣み出される古楽器の⾳楽,⽣成変化の⾃由度がより⾼まったデジタルの映像や⾔語や⾳楽,そしてそれを再び⾝体性に変換する所作を感じることができる.
古楽器・⾝体・メディアアート・クラシック⾳楽を融合させながら,デジタル領域の解像度やダイナミックレンジの中で⽋落している要素を探し続ける追求は,ある意味でコンピュータサイエンスの背景を持つ者にとっては,ダダイズムやニヒリズムの⼀形態にも似ていることだろう.効率化の裏返しの中,私たちは質量と物理的な存在感を放つ作品に魂を惹かれる.この相反は多くの⼈に直感的に受け⼊れ難い事実である.効率的で機能的で計算量の多い機械知能は,我々の世界認識を常に更新し,アナログの感覚を研ぎ澄ますために最も重要な環境の⼀つである.そういった⼀瞬⼀瞬に⽣まれる未知の世界への旅路は⼈類の歴史から過去の具体的な経験を呼び起こし,蘇らせる⾏為でもあり,また仏教的な過去に遡れば,⾝体性の超越への追憶でもある.進化し続ける計算機⾃然という⾵景の中で,存在の美しさと複雑さを噛み締めることができれば,未来と過去は⼀つの円環となり,またそれも⼀つのオブジェクトとなるだろう.
この試みを通じて,⼈間と計算機⾃然の共⽣は⾮常に⾳楽的な,感覚的なものとしてあらゆる⼈々に直感的に馴染むものであることが体感できるなら幸いである.クラシック⾳楽,コンピュータサイエンス,芸術の要素の統合は多くの背景知識を包含するが,その体験それ⾃体は⽂脈依存ではない.⾳とイメージの作る芳醇な視聴覚体験は,⾝体性・質量・⼈間の本質的な欲求を呼び起こすことを⽬指している.この探究の中で,密教・空海・クラシック⾳楽・シンボリックコーディング・⼈間と計算機の協調・オブジェクト指向・⻑良川と鮎と鵜の⾒せる⾃然・松尾芭蕉など,多くの影響を取り⼊れた私たちのパフォーマンスが,皆様に新しい共感覚をもたらすことがあれば幸いである.
落合陽一
ロワイエ:めまい、スキタイ人の行進
モーツァルト:音楽のサイコロ遊び K.516f
ショパン:ノクターン 嬰ハ短調 遺作
シューマン:謝肉祭 作品9 より
藤倉 大:Past Beginnings Extended
落合陽一×AI :交響詩『長良川(仮)』(世界初演)
ほか
※曲目は変更になる場合があります。