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落合陽一×日本フィル プロジェクト VOL.9
The Orchestra of null²
Yoichi Ochiai & Japan Philharmonic Orchestra Project VOL.9
日本の芸術は古来、森や水に宿る「見えざるもの」との交感を繰り返し、その交感の痕跡を、鏡や楽器、そして身体という媒体に写し取ってきた。私たちは、森羅万象の複雑さを掌握できないように、自然や生命そのものを記譜することはできない。自然とは根本的に楽譜化できないものであり、その「掴めなさ」や流動性は常に人間の表現を超えた地点でゆらぎ続けている。だが、私たちはそこにこそ日本的感性が息づき、縄文から今日に至るまで、この列島が連綿と刻んできた美学的遺伝子が潜んでいると直観している。
雨、土、風、川、海、水田、農耕、水鏡の中に立つとき、私たちは自己と他者、現実と虚構、過去と未来の境界を溶解することができる。鏡はその表面で世界を反転し、私たちが当たり前に抱いている世界認識や二項対立を超えた新しい視座を開示する。私たちが制作するのは、まさにその「鏡としての場」である。音響と映像、触覚や振動のテクノロジーを駆使し、鑑賞者の身体を水鏡のように多次元の反射空間へと拡張し、自己認識や感覚世界の輪郭を融解させるのである。
この場において、私たちは縄文の森が抱いた闇や水が語る波動、鏡が示す存在論的問いを、現代的な媒体を通じて再帰的に表象する。そこには伝統芸能における霊性、近代化の波にさらされながらも残存し続ける日本的自然観、さらには万博という祝祭空間が象徴するモダニズム的記号体系までもが重層的に響き合うだろう。人間は古来より、鏡面が映し出す世界を通じて自己と向き合い、その揺らぎの中に自己変容や再生を見出してきた。今、私たちは同じ問いを新たな技術的媒介と共に蘇らせ、鏡面の反射のなかに人間が持つ「見えざるものへの感受性」を再起動する。
この音楽会は、「null²(ヌルヌル)」という思想が象徴するように、人間が記号や言語という境界を超え、自然(ヌル)へと再び回帰する儀式である。それは同時に、現代人が自ら作り出した人工物やシステムの内部に自然を再発見し、自己を含む世界そのものを新たな生命的構造として再編する行為でもある。私たちはそこに「計算機自然(デジタルネイチャー)」という新たな自然概念を持ち込み、古典的自然観と現代の情報的環境を交差させる。テクノロジーとは、私たちが失いかけた自然との関係を再び結び直し、再統合を図るための媒体に他ならない。
サントリーホール、そして万博という場で行うこの試みは、単なる文化的イベントにとどまらず、日本文化が持ち続ける「見えざるもの」との交感という霊的遺産を、グローバルかつ同時代的に再解釈することを意味する。それはまた、私たちの生きる現代が持つ断絶や矛盾を、音楽と映像という時間芸術のなかで融解し、再統合する社会的な芸術実践でもある。
この場に足を踏み入れた者は、水鏡の反射を通じて自己と世界の境界が曖昧になり、森羅万象との再びの交感を体験するだろう。その体験こそが、私たちが万博という祝祭を介して表現しようとする、日本の新たな芸術的アイデンティティの核心に他ならない。
プログラム / Program
團伊玖磨:祝典行進曲
武満徹:訓練と休息の音楽 −『ホゼー・トレス』より−
林光:国盗り物語
菅野祐悟:軍師官兵衛
坂本龍一:THE LAST EMPEROR
藤倉大:「Water Mirror」 [承前啓後継往開来シリーズIII、委嘱世界初演]
レスピーギ:ローマの松 他